コロナ禍が日本で始まった当初、いったい誰が舞台芸術の空白がここまで長引くと想像しただろう。
歌舞伎や文楽など伝統芸能は2月末から公演中止や延期に入った。さらに緊急事態宣言で、ライブ芸術は日本から一切といっていいほど姿を消してしまった。その期間は現在まで3カ月以上に及ぶ。
休業要請が解除され、ようやく光が見え始めたように思えたが、演劇の性質上、すぐに再開というわけにはいかなかった。ほとんどの演劇は、いわゆる「3密」。劇場という空間で、舞台上も客席も人間が多く集まる。稽古では緊密なコミュニケーションが必要だ。感染防止のため観客の人数を制限すると、採算面での懸念も出てくる。
ある歌舞伎俳優は「公演の再開がいつになるか先は見えない」とため息をつく。「文楽も厳しい」と文楽関係者。「文楽人形は3人の人形遣いが体を密着させながら一体の人形を遣う。密な接触は避けられない」
そんな厳しい状況のなか、ある実験的な公演が6月1日、大阪市中央区の山本能楽堂で行われた。
上方歌舞伎の中村鴈治郎(がんじろう)さんと劇作家、演出家のわかぎゑふさんが「新しい生活様式の中での公演スタイルを模索しよう」と呼びかけ、能の山本章弘さん、狂言の茂山七五三(しげやま・しめ)さん、宗彦(もとひこ)さん、逸平(いっぺい)さん、文楽太夫の豊竹呂太夫(とよたけ・ろだゆう)さん、落語家の桂吉弥(きちや)さんら関西伝統芸能界のそうそうたるメンバーが集まった。
「直前に声をかけたのにこれだけのメンバーが集まれるということは、関西の文化が空白になっていることの証明」とわかぎさん。
当日は、観客数を収容人数の4分の1の約60人とし、舞台上も少人数にするなど感染防止への配慮を行っての公演。鴈治郎さんと逸平さんが共演した新作舞台「棒しばり×棒しばり」は、物語にソーシャルディスタンスを取り入れ、消毒液を互いの手に吹きかける場面もあり、古来、狂言や歌舞伎に備わった人間賛歌の精神にのっとり、笑いでこの困難な状況を乗り越えていこうというたくましさを感じ、勇気が湧く思いがした。
鴈治郎さんは「エンタメは生きていく上で必要ないと思われるかもしれないが、果たしてそうだろうか。文化は今、止まっているが、決して死んではいない。私たちの生活に欠かせないものだということを知っていただきたい」と力強く語った。
舞台の模様は後日、有料配信されるという。その収益は舞台関係者への支援に生かされるそうだ。今後は生の舞台とネット配信をさまざまな形で両立させながら興行を行っていく、という方法も考えられるだろう。
必要なのは、文化は必要なのだという信念である。
筆者:亀岡典子(産経新聞大阪文化部)